才能は必要か

ブログを書いているといつも感じること。

うまく書けない、ということ。

「うまく書けない!うまく書きたい!」と毎回思う。

これは、おそらく誰でも思うことであろう。

よくあることだ。

よくあることにしては、ぼんやりしている。

「うまく」とは何なのか?

うまく書きたい、の「うまく」とは何なのか?

これがはっきりしていないと、うまくは書けないはずだ。

太宰治のように書ければ、うまく書けたといえるのか。

三島由紀夫のような書ければ、うまく書けたというのか。

村上春樹か、赤川次郎か、又吉直樹か。

それとも大前研一か、田坂広志か、清水清か、福田ますみか。

例えば、川端康成のように書けなければ、うまく書けたと言えないのであれば、おそらく「うまく書けた」と思える日は来ないであろう。

一般人としての私が目指す文章はそんな高尚ではないし、私は作家になりたいと思ったことがないから、目指したとしたら変である。

身の程を知る

しかし、ブログを書くときのクオリティは、ぼんやり高尚な文章や内容を目指してしまっているように思う。

有名な作家の文章の質を無意識に目指してしまってる。

しかも、1時間くらいの時間で書こうと思ってしまっている。

身の程を知らなければいけない。

手持ちの才能でがんばる

では、どうすればよいのか?

自分のできることを冷静に分析し理解し、今持っている能力や経験、知識で一番良いものを書けば良いと思っている。

手元にあるもの。

使い方を知っているもの。

実践で使える知識。

今あるもので一番良い出来のものを作り出せばいい。

そう思ってる。

一生懸命なアウトプット

才能を持った作家の文章は人を感動させる。

しかし、才能がなくても感動することなんていくらでもある。

自分の持っている才能の中で、一番の出来のものを一生懸命アウトプットしているのも結構感動する。

分かりやすい所で言うと、高校サッカーとか高校野球とか、最近では高校生のダンスとかもそうだ。

彼ら彼女たちのすべてに才能があるわけではない。9割は才能がないかもしれない。

しかし、自分の持てるチカラをめいいっぱい使ってアウトプットする姿を見ていると感動する。

人に何かを届ける時に才能なんて必要ないもしれない。

作家も同じであろう

実は、才能を持った作家もそうなんだと思っている。

才能がある作家も、自分の才能をフル活用した結果なんだと思う。

アウトプットの質がちょっと高いだけなんだと思う。

読んでいる人は質は気にしていなくて、めいいっぱいのアウトプットに感動しているのだろう。

もしかすると、才能を持った人なんていないのかもしれないですね。

スポンサーリンク
スポンサーリンク
%d人のブロガーが「いいね」をつけました。