ブログを書いて優しくなる(なりたい)

4月末ごろからブログをちゃんと書き出した。

このブログではなく、主に会社ブログの方。

なぜブログを書くのが良いと思うのかは、自分自身ではわからない。

なぜブログを書くのか?

なぜだろう?

ブログを書いていることを話すと、だいたいの人はちょっと馬鹿にしてくる気がする。

気のせいかな(笑)。

気のせいであれば嬉しい。

「自分の考え方や日々感じたことを公開するなんて自意識過剰じゃない?」という感じだろうか?

実は、私もそんなふうに思う部分も何%か存在している。

けど、文章を書くことは重要なことだと思う。

人間の知性の象徴?

私は書くことは、人間の知性の象徴と思っているかもしれない。

もちろん、そんな大きなことを思いながら書いているわけではない。

ブログを書くことの意味はある。

1つ明確に認識していることがある。

それは、良い文章が書けた時、かなり気持ちが良いということ。

今の私の生活の中では、一二を争う気持ちが良いことかもしれない。

良い文章が書けたということは、何を意味するのか?

良い文章が書けたということは、何を意味するのか?

それは、考えがまとまるということ。

普段はぐちゃぐちゃな頭の中がキレイにまとまる瞬間は、ブログで良い文章が書けた瞬間だ。

頭の中は概念的で、頭の中にあることたちに時間軸はない。

すべてが同時に存在しているし、それぞれの境界線もない。

だから良いこともあるけど、普段の生活では不便なことが多い。

それは他者が存在しているからだ。

他者に対して、私の頭の中の概念を同時に浴びせかけてしまうと迷惑でしかない。

それならないために、大事なことから、必要なことから順番に提示していく。

文章にするとそれができる。

丁寧でわかりやすい人の完成だ。

他者に喜ばれる。

考えが整理されているのは他者へのやさしさ

考えが整理されているのは他者へのやさしさだ。

ブログを書くことは、そういうことだ。

私は40才になるくらいまで、そういう「やさしさ」はまったく持っていなかった。

先ほど書いた、自分の中にある概念を浴びせかけるような人だった。

わざとわかりにくい表現を選んでいたかもしれない。

いや、わかりにくくしていた。

やさしさが足りない。

やさしくなりたい。

だから、ブログを書いているのかもしれない。

ブログで心を矯正しているのだろう。

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