ある日、国分寺に向かうバスの中で

当時住んでいたところから最寄りの駅の国分寺まではバスで通っていた。

量の問題ではない

この言葉は、混雑しているバスの中で、私の前にいた女性が開いていた携帯電話の「メール返信」画面に表示されていた言葉である。

他人のメールを覗くつもりはなかったが、私はその女性の真後ろに立っていた。女性の肩越しに私の目の前で携帯電話が開いていた。

その女性は、上品な美人であった。髪もキレイに整えられていて、清潔感もあった。しかし、ちょっとした違和感がある。

その違和感はどこから来ているのかわかっていた。

その女性が、ヒョウ柄のもこもこのコートを着ているからである。あまりにも安っぽいヒョウ柄のコートを着ていたのである。

そういう人はいる。

昔付き合っていた女性は、見た目も考え方も上品で、私が知らないような芸術家をたくさん知っていた。

けど、ファッションだけは、末は娼婦かボーイ・ジョージかというような趣味だった。もちろん、好みは人それぞれだから仕方がない。

この女性は、上品なのか、そうではないないのか、どっち側だろう?

大学教授

そして、私は予想した。

この女性は、数学を専門としている大学教授だと思った。

「なぜ、ヒョウ柄のコートを着る人が大学教授なんだ?」と思うかもしれない。

しかし、国分寺は大学の街である。たくさんの大学生とたくさんの先生がいるのだ。

そんな環境が私にそんな予想をさせた。

例えば、100人教授がいたら、1人くらいはヒョウ柄もこもこのコートを着ている人はいるだろう。

量の問題ではない

その女性は、「量の問題ではない」の後に何を書くのか迷っていた。

親指が次の文字を探し続けていた。

私が大学の教授だと思ったのは、この「量の問題ではない」という文言も関係しているのかもしれない。

「量」を語ることがあるのは学問しかない。だから、大学で数学を教えているんだと思ったのかもしれない。

私が先ほど考えた「100人教授がいたら、1人くらいはヒョウ柄のもこもこのコートを着ている人はいるだろう」と確率で考えたことも、この女性にかかったら「量の問題ではない」と数学的な理論でねじ伏せられるかもしれない。

こんな知的で上品な女性に、数学の理論を使って論破されるのは、それはそれで良いかもしれない(笑)。

その女性は、まだ「量の問題ではない」から何も書けてなかった。それは、そうだろう。

そんな簡単な問題ではないことは、数学に明るくない私でもわかる。

数学の理論だけを使って解ける問題ではないかもしれない。

哲学の問題でもあるかもしれない。数学は哲学だという有名な学者もいるくらいだ。

戻るボタン

私はこう思っていた。

この問題はメールでやり取りできるような問題ではない。そして、バスの中で簡単に返事できるような問題ではない。直接会って話すべきだと。

私もその議論に混ぜてほしいと思った。知的な人といると、知的な影響を受ける。

そんなことを思っていると、女性の指が動いた。

「戻る」ボタンを押した。

そもそも問いは何だったのか

なるほど、メールをくれた人がどんなことを書いていたのかを、もう一度確認するのか。

もともとの「問い」はなんだったのかを確認するのだろう。

「問い」を適切にとらえてないと、「答え」も的外れになってしまう。

携帯で打つメールの不便なところは、この作業かもしれない。

自分がメールを書いている画面では、メールをくれた相手の内容が参照できない。しかも、この時の携帯は折りたたみ式のガラケーだ。

この無駄な時間に、せっかくの思考が途切れる。

この間に、大事な何かが抜け落ちてしまうかもしれない。

「早く、読み込め!」と私はもう他人事ではなくなっていた。

この問題の当事者になっていたのだ。

早く!早く!

やっと読み込んだ。

画面に出た文字を見て、

私の身体は硬直した。

餃子の食べ過ぎじゃない?20個は多いよ。

うん、そうだな。

いや、普段は30個食べているかもしれない。

比較対象がないのに、「量の問題ではない」とは言い切れない。

???

おい!

そっちか!

上品じゃないほうだったのか!

ややこしい書き方するなよ!

とんだ妄想野郎になっちゃったよ!

「量の問題ではない」と書こうとしてただろ。

ちがう!

量の問題だ!量だ!

20個は多い!

「量」以外の問題がないからメールに迷うんだよ!

早く気付け!

そして、バスは国分寺の狭いバス停にその大きな身体を滑り入れた。

コメントの入力は終了しました。
%d人のブロガーが「いいね」をつけました。