ナンバーガール

最近、ナンバーガールを聞き直している。いや、ナンバーガールが活動している期間に聴いていたわけではないので初めて聴いているのに近い。

ナンバーガールが活動していた1995〜2002年は、私はテクノ一色でテクノ以外には興味がなかったので「透明少女」とかはテレビやラジオで聴いて「いいな」とは思っていた。

あ、そんなテクノ一色だった時期でも「NUM-AMI-DABUTZ」はかっこよすぎたので買って何度も聴いていた。

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そして今

そして、最近はYoutube経由でナンバーガールのライブ映像を見つけて観ていた。ナンバーガールのライブでの演奏は聴いたことがなかったけど、あんなにもかっこいいとは本当に知らなかった。

音楽情報サイト RO69(アールオーロック)の邦楽ニュース。「1995年夏から、我々が自力を信じてやってきた、このナンバーガールの歴史を、今ここに終了する」 2002&

そのかっこよさについては私ではうまく書けないのでこのサイトから引用します。

それまでのギターロックとはあからさまに異質な音と歌を響かせ、時代性やスター性には一瞥もくれることなく、あまりにも鮮烈に時代を突き刺していったナンバーガール。“OMOIDE IN MY HEAD”“透明少女”“TATTOOあり”“NUM-AMI-DABUTZ”……ざっくばらんにダイナマイトをぶちまけるような開放的な狂気に満ちたサウンドはしかし、その配置が1mmでも狂えば自身の望む100%の爆発力を発揮できない、という緊迫感と常に隣り合わせのものでもあった。だからこそ、彼らはアルバム1枚ごとに極限進化を繰り返し、ついにはオルタナもパンクもロックンロールもダブも踏み越えた凄絶な音塊へと到達した。が、取りも直さずその緊迫感が、バンド自身を重力崩壊へと導いてしまった。言い換えれば、ナンバーガールはナンバーガールであるがゆえに進化し、ナンバーガールであるがゆえに終わりを迎えたのである。(【コラム】今、振り返るナンバーガールの“狂気”――「シブヤ炎上轟音上映会」によせて

ライブでの演奏のかっこよさ以外も引用に混ぜたが、この引用部分がナンバーガールのかっこよさを表現している気がする。

その配置が1mmでも狂えば自身の望む100%の爆発力を発揮できない

特にこの部分。私は昔バンドをしていたことがあったが良い演奏と悪い演奏の違いはほんのちょっとの違いで変わってくる。そのほとんどが悪い演奏だが、たまに何かのタイミングで良い演奏になるときがある。素人であれば、100回に1回くらいかな。

ナンバーガールのライブの演奏を聴くと、どれも良い演奏だ。しかも、ものすごいテンションである。これってどうやったらこうなるんだろう。直接取材してみたい。

ナンバーガール

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