みえないものをみたい

最近、真面目にブログを書いている。2016年の夏くらいから真面目に書いているが、最近は特に真面目に書いている。

真面目と言っても「内容に対して、自分が納得できる」という基準。しかし、「自分が納得できる」というのが一番難しいとわかってきたところ。

ブログを書いているといろんなことに気づくことができる。自分が納得する内容は何なのかとか、毎日書くのは難しいとか、ブログ書いてどうなんの?とか。

ブログの書き始める時、何も考えずに書き始めるのではなくテーマや文章の展開(構造?)を決めてから書くようにしている。そうしているのは、テーマや構造を決めて行動することが、私は弱いんじゃないかと思っているから。

私を知っている人は、どちらかというとテーマや構造を決めてから動く人だと思う人もいるかもしれない。けど、ビジネスの場で強みと言えるレベルではないから強めていきたいと思ってる。

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見えないものが見えてくる

テーマや構造を考えながら書いていると、予期しないところで良いことがあった。

それは本やマンガを読んだり、映画を観たり、歌詞を聴いたりするときに、テーマや構造に気づけるようになったこと。

「この本のテーマはこれだな」とか「ここはテーマを強く伝えるためのネタ振りだな」とか「この一文は前の作品とつながっているテーマだな」とかが見えてきた。

今まではまったく見えていなかった。

小説だったらそこに書かれていることだけに感動するかしなかったし、ビジネス書だったら「あー、そうんなんだ」と思うだけだったし、エッセイだったら面白いこと考えるなとか、その程度だった。

しかし、自分のブログを意識的に書くことで変わってきた。自分より遥かに優秀な人や文章がうまい人が書いたものは示唆的である。文章だけではなく、文章の構成にもしっかりとメッセージがある。

今まで見えていなかったことが見えてきた。

テーマはないといけないのか?

テーマを意識するというのは、なかなか難しい。自分自身の活動でテーマ設定を忘れていても、忘れていることさえ認識できないことも多い。テーマなんてなくても生きていけるし、仕事もできるし、すぐに困ることはない。

では、テーマはないといけないのか。

テーマがなくてもそれほど困らないように思う。「今」はまったく困らない。「今ここ」では影響はない。

しかし、テーマがない活動はすぐに迷子になる。活動(プロジェクト)にはすごく大事なことと、それほど大事なことでもないことがある。テーマがないと、その「それほど大事でもないこと」の取り扱いが難しくなる。

そして、テーマがないと時間とともにクオリティが高くなることがない。積み上がるものがないから、そうなるんだと思う。だから、テーマがない活動はすぐに飽きる。知的好奇心もまったく刺激されない。

そもそもテーマがなければ、文章の構造も論理も何も必要ない。テーマを伝えるたり、補強するために工夫が必要なだけであって、なければ必要ない。

ちなみに、今回のこのブログは、テーマ設定が弱いので終わり方がよくわからない(笑)。

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