旅のメモ(住んだところと勤務したところ)

最近、自分の中で「振り返りブーム」が巻き起こってる。

私は、過去を振り返ることをあまりしないタイプで、これは19才の時に意識的にしていたことが癖づいてしまったと思う。

なぜ過去を振り返ることをしなかったのか?

19才の時に心斎橋のレコード屋さんの2回でやっているライブイベントに数回出ていたことがあったのです。

私のバンドが2回目に出場する時に、初めて出場する別のバンドの人に「いやー、今回は楽ですよ。前回はいろいろ大変でしたよ〜」みたいなことを言ってしまって、自分でも話しながら「おれ、サブいな」と。

「昔は大変だったよ〜」的なことを言っている自分がイヤで過去を出来る限り語ったり、意識することをヤメた。

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年を取ったら過去は重要

けど、若い時は前進あるのみ!でいいけど、ある程度の年齢になったら過去は重要じゃないかと最近感じる。

世の中はぐるぐる廻っているし、揺り戻し揺り戻しの連続だから簡単なことであれば予測ができる。その予測は役に立つこともある。特にビジネスでは。過去を整理してそこから何か傾向を見ていく必要があるんじゃないかと思うんです。

転職9回

私は転職が9回で、引越しは12回以上している。大阪時代の仕事で引越しまではいかなくても、2週間とか1ヶ月とか住んでた地域も入れるといろんな土地に住んだことがある。

それをまとめていこうと思う。

大阪時代

まずは、生まれ育った大阪府枚方市からスタート!

枚方市楠葉

実家です。生まれたのは牧野の養父というところ。そこの記憶はない。

部活中心の生活だったので、高校を卒業するまで枚方市をほとんど出たことはありませんでした。

西宮の甲子園付近

2つ目の会社の寮でした。寮と言っても、マンションの一室です。正確な場所を覚えていません(汗)。

私を含めて若手社員3人で住んでいたのですが、毎晩毎晩、先輩社員が泊まりに来るので、落ち着く日はなかった(笑)。

エロビデオが転がっていたり、テーブルの上のジュースにカビが生えていたりと今考えるとヤバイ。

甲子園の近くだったので、ベタに阪神ファンがあふれていてナイターがある日はどの飲み屋も阪神戦がやってて、街全体がコントみたいな雰囲気だった。

森小路

ここは大阪市鶴見区にある印刷会社に転職して、近くに住むために京阪森小路近くに部屋を借りた。4年くらい住んでいたように思う。

京阪の森小路は超マイナーな駅で、今も何かのタイミングで「森小路」というワードを聞くとちょっと笑ってしまう。

鶴見緑地

当時勤めていた印刷会社があったところ。花博記念公園の近くです。このときの会社には4年くらい勤めた。

最初は印刷のデザイナーだったけど、この時にWebに出会った。その時から印刷物はまったくしていないと思う。

心斎橋&本町

転職して勤め先が心斎橋と本町の間くらいのところになった。忘れてたけど、今調べたところ、おそらく南船場あたり。

このときの同僚が本当に変わった人が多かったし、仲良くなった周りの店の人たちも本当に変わっていた。自由人が多かったのもあるし、仕事内容もかなり変だったから、まぁそんな環境になるよね、と今振り返ると思う。

京橋

京橋では同棲してた。京橋はわりとガラの悪い地域で、私の親くらいの人たちがメンチの切り合いとか普通に喧嘩してたりしてびっくりした。

大人になったら落ち着くものだと思っていたけど、京橋の人たちはまだまだ現役だった(笑)。

住んでいた近所に救急病院があって毎晩救急車の音がすごかった。

阿波座?

この後、また転職して阿波座で勤めてた気がするけど忘れた。元同僚に確認しよう。

この時の会社は本当に凄まじい環境でした。この時のことを話しをしても誰も信じないので書かないです。

江坂

御堂筋線の江坂駅前に勤めていた会社が移転したので、その近くに家を借りた。

江坂駅まで10分くらいだったけど、その間に美容院が5〜6店舗あった。その中でも一番小さな女性一人でやっている美容院に行っていた。

その女性は過去に2回交通事故にあったことがあって、2回目の事故以降は霊感を得たらしい。私はあまり興味がなかったけど、お客さんのほとんどがその霊感でいろいろ見てもらいたい人で面白かった。

その女性も「みんな私の髪を切る技術は特に求めてない」ってよく笑ってた。今思い出したけど、閉店近くに行くと、「もう誰もこないからご飯行こ」ってなってたな。今考えても変な人だった(笑)。

転勤時代

横浜鶴見

東京事務所ができて転勤になった。住んでいたところは横浜の鶴見。鶴見駅からバスで10分くらいのところで遠かった。1号線が近かった。

最初の勤務地は品川駅近く。この時にちゃんとしたタイ料理を食べてハマる。

大阪の江坂時代からバイクに乗っていて、勤務していたお店が千葉の浜野や埼玉の春日部などバイクで通っていた。バイクで通うのは楽しかった。

アクアラインとか15号線とか池袋とか好きな道路や場所が多かった気がする。

姫路

鶴見時代によく地方のお店にヘルプ(コンサル的な偉そうな言い方だった気がするが忘れた)に行っていた。

兵庫県の姫路は2週間くらいいた。

ほとんど記憶はないがお好みの美味しいお店があって、世間ではEXILEの「Lovers Again」が流行っていて、私は安藤裕子の「さみしがり屋の言葉達」をすごく聴いていた記憶がある。

札幌

札幌も2週間くらいいたが、ほとんど記憶がない。まだ新卒の女の子が店舗の社員に向かって偉そうだったのはちょっと覚えてる。

宇都宮

宇都宮には1年弱いたと思う。地方で何もないから面白くないっぽいけど、同僚と遊んでいたのでなんか楽しい思い出しかないな。みんなご飯行ったり、バイトも含めて映画行ったり。

けど、本当に寒くて、本格的な寒さを始めて経験した。冬は道路が凍っていてバイクで転けそうになったことが何度もあった。

鹿児島

鹿児島にも1年弱くらいいた。

宇都宮の店舗が潰れて、どこの店舗に行きたいかを会社に聞かれて、即答で「鹿児島に行きたいっす」と答えていた。鹿児島じゃなかったら会社を辞めるつもりだった。

なぜ鹿児島かというと父親の生まれ故郷だから。チャンスがあれば鹿児島に住みたいと思っていた。

父親の生まれ故郷ということで住み始めたが、本当によいところで、今でも鹿児島に引っ越そうかなって考えることがある。

休みの日によく海辺まで散歩に行っていたんだけど、桜島が見える海岸線をずぅーとあるき続けたり、指宿とか桜島までバイクでツーリングしたりしてた。あの日に帰りたい。

東京時代

ここから東京時代に突入。

多摩川

東京の最初の会社が目黒だったんだけど、どこに住んだらいいのか本当にわからなかった。

部屋を決めるのも大阪からきていてすぐに決めたかったから不動産屋さんにおまかせで選んでもらった。3つくらいみたけど、田園調布のど真ん中にあるワンルームだった。

田園調布と言っても高級なわけではなく、車がある前提の街であったので本当に不便だった。不便だったから家賃も安かった。

国分寺

次は、国分寺。最寄りは国分寺駅か鷹の台駅。全然最寄りじゃなく歩くと遠かった。

ここでは2回目の同棲。韓国人の彼女だったんだけど、激しい日々だったな(笑)。いろんなことがありすぎて情報量が多すぎてなんかよくわからない。

池袋

転職して池袋。あまり良い思い出がないけど、会社が入っているビルに沖縄料理屋さんがあってよく行ってた。

池袋は大阪の難波みたいだなぁとよく思ってた。

赤坂見附

またも転職して赤坂見附に勤めだした。けど、パワハラがすごくて3ヶ月でヤメた。やばかった。

中野

次は、中野新橋。ハナラボの事務所が中野新橋になったから、近くに引越し。今考えると、なんか暗い部屋だった。

墨田

今は墨田区。最寄りは錦糸町か両国。

これからどうなるんでしょう。鹿児島に住もうかなってよく考えてる。

いろいろコロコロ変わってますが基本的に旅だと思ってます(笑)。

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